『コーヒーのグローバルヒストリー』 読書感想②

前回の続きです。
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日本におけるコーヒーの歴史
この部分においては、日本にどのようにコーヒーが持ち込まれたのか、さらにはどのような歴史を経て日本はコーヒー消費国世界四位(2002年時点での統計データによる)まで登ってきたのかという歴史が大まかに説明されていました。



日本への伝来
もともと日本ではコーヒーと似たように日常的に消費されていたのは緑茶でした。そのような中、18世紀の鎖国時代に、オランダ人が初めて日本にコーヒーを持ち込んだことが記録されているようです。しかし、持ち込まれた当初には希少なものだったので価格的に一般大衆が飲めるような飲み物ではなく、ごく限られた人々しか飲んではいなかったようです。

そうして時が経ち、19世紀になると日本で文明開化の流れが起き、次第に民衆が西洋から持ち込まれたコーヒーに興味を抱き始め日本で最初の本格的な喫茶店である可否茶館が開店します。しかし、その時代でも価格という障壁によって一般庶民にとっては敷居の高い飲み物のままでした。


コーヒーの大衆化
この時点までネックであった価格という障壁が解消されたのが19世紀半ばに起こったブラジルへの日本人移民計画でした。
この移民の計画はなかなか上手く進まず、実際に現地に着いた日本人が差別の対象になるなど様々な問題がありました。しかし、日本人の働き具合や人柄などを賞賛する声もブラジル国内には多くあったそうです。そんな中で、この移民の計画がなかなか収益化できずに計画自体が赤字になってしまい、計画が中断されそうになってしまいます。しかし、ブラジル側はコーヒー栽培での労働力不足を今後も日本人労働者で補填して行きたいという思惑があり、中長期的に考え日本との関係を中断することが好ましく無いと判断しました。そこで、コーヒー豆をブラジル政府が日本に格安で大量に輸出するという策をこうじました。このことで日本に安価でコーヒーが流通し、一般庶民も平等にコーヒーに触れる機会が与えられたのです。こうして、コーヒーが日本で大衆文化と化していきました。

しかし、戦争が始まるとコーヒーは敵国飲料として捉えらるようになり、輸入量も激減してしまい民間人まで流通することはほとんどなくなってしました。



WW2後
戦後すぐには貿易に関する様々な規制が解除されたわけではなく、出回っていたのは闇市場で流通していたコーヒーのみでしたが、規制緩和や朝鮮特需などによってどんどんとコーヒー業界は勢いを取り戻して行きました。1951年あたりから60年までには輸入量も急激に伸びて、三倍近く増えたとされています。さらには戦時中に禁止されていた喫茶店なども現れ、その後の学生運動や、国民のコミュニケーションの場としてどんどんと成長して行きました。


まとめ
このような大まかな流れでコーヒー文化というものが日本で形成されていきました。

アジアでも所得の上昇とともに日本の用にコーヒー消費が今後もどんどん上がって行くだろうと予想されてるのが中国でちょうどタイムリーなポストがブルームバーグでも取り上げられていました。
www.bloomberg.co.jp

自分たちが普段何気なく飲んでいるコーヒー。その背景には様々な歴史や現在も進行している問題も含まれています。これはコーヒーに限られたことではないですが、そのような事実を知ることは今のような時代にはとても容易であると思います。けれども、現代の人は自分が知りたくない物事には自分から蓋をしている気がします。自分たちが普段から頼っているものだからこそ、それに関して知識をつけることはとても大事なことであると思いました。


コーヒー好きな人や、先進国と後進国間での貿易に感心がある人、また歴史に興味がある人は絶対に読んで損はしない本です。
そんな方達にオススメしたい一冊でした。